2019年1月15日
今年は、今日から日記をたくさん書いていこうと思います。
なんでもすぐに全部忘れて曖昧な、声にも言葉にもならない、うたの手前の、ヒステリー球みたいな、あるいはなんだか説明のつかない埃みたいなものだけ積もっていくので。
私はもう絶望した。
孤独と対面したことがない。やはり、したことがないのだった。まっすぐに自分の孤独と対話したことがない。
だからいつも緊張している。とにかくそうだった。それでだった。結びついたのだった。孤独から逃げるから、ずっと肩の力が入って、音だけをきくことも、一瞬間を捉えることも、自分のも、周りのも、できない。
そして言葉が読めない、音楽がきけない、あなたのことが考えられない、いい加減だ。分からないから、もうやめてしまったのだ。本当のことが分からないことに気が付いて、それが孤独がこわいからだと決めるのもこわかったので、やめてしまってどれくらい経つのだろうか。まだ取り戻せるだろうか。わたしは。
今年からは、とても、今日からは、ずっと、孤独でありたい。
いつかちゃんと孤独になって、孤独な人と、孤独な話ができるだろうか。
たのしいんだろうな。それでいまは辛いな。
ここを孤独についてだけを綴る日記にしたっていい。
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言葉ことはじめ - ことばの発見Ⅲ | ウェブマガジン「あき地」
前言語のはなし、面白く、膝を打つ。
うたにならない、うたの前の、太古からの、わたしのではない、声みたいな、あれを、常に、本当は常に、きいていたいのだ。
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3月にまた坂本慎太郎のLiveが見れる。富山にて。
孤独なわたしと、孤独なあなただけ、といったふうに、それを前提に、直接語りかけてくる。物語があって、詩があって、強い音楽はそれを支えている。それぞれ融けてしまわずに。
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どんどん変わっていけたらいいな。
それがうたになって、まわっていくと本当にいいのにな。