2022/08/21

人に会って話をするということは、再生可能な自分の一部を切り取ってそこに置いてくるような感覚があり、これを繰り返すと辛い。みぞおちが不穏で不快な軽さになる。時間が解消するのをじっと待つ。

待つ間、しばらく静養する必要があるのだけど、その期間は無表情でもよく、だれにも声をかけられず、何も説明しなくてもよく、光が強すぎず良い自然のにおいがして大きな声で話す人間がおらず居心地の良い場所で、ただねむる起きる体の声を聞くなどしていたい。

できれば誰もわたしを外に誘ってほしくないし、応答が必要な呼びかけを寄越してほしくないし、何にも認められる必要もなく、誰のことも。

それがわかる人となら、半年に一度だけ、いい季節に散歩などしたい。それだけで、本当はいいはず、たぶん。