A.

目眩く

閃いている

 

恋について考えていたら、恋は、思想への恭敬、憧憬かもしれない、というところに行き当たりそうな、そんな、感じ

思想は問いと答えとその間の過程で、

問いは個人的なもの、過程は論理によるもの、答えは個人の体に帰属するもの

論理は個人より先に既にあるもの、言葉

思想の始まりは個人的なものだけど、論理を用いるから(それ以外は思想とはならないとして)世界への飛躍があり、答えはやはり個人的な、言葉の筆跡

思想は記憶や経験ではないし、景色でもないし詩でもない

問いは論理によって答えに昇華するけれど、個人の体にしか刻まれないので、私はその固有の言葉をきく、その人の固有の声できく、当然同時に「言わないこと」も聴いている、

記憶や経験、景色や詩から個人的に始まった思想が、過程の論理における言葉の使用を経て、答えになり個人に帰属する。その筆跡があなたの体に残って響いて止まない言葉だ、と思うよ

 

 

云々

わたしは言葉にしか恋をしないし、ずっとそれをきいてきた

そして触れられないと分かっている無形の言葉に、どうしても触れたいと夢見がちに思ってもいる

音楽をきくときにも、はっとする瞬間も、あなたの体にどうしてか残ってしまった言葉の筆跡をわたしはきき続けて

ほいで、死者の言葉も

壁とか本とか牛蒡とか手とか、なにかに触れたくなるのは、そういう理由なんだと思う

 

(というのが、この前の飲み会で適当にはぐらかしてしまった、音楽をどうきくか?→音楽は言葉に起こすもんだよ、というわたしの雑な発言の真意です(雑〜〜、言葉を尽くすのに体力が持たんかったよ面倒になったよ、いつか会えたら話そうよ))