2019年1月16日

そうするとどんな意味があるのかとか、ルールとか規範みたいなものには比較的興味がない。たぶん。そのときそれが起きたなら、そうだったんやろなと受け入れてきたし、いまもまだ受け入れている。たぶん。比較的。もうこうしていくしかないかもしれんな、と受け入れつつある。ゆるしている。だけど。もし「そのときのそれ」を見誤ったら、ということを。ずっと受け入れていなかった。かも。たぶん。比較的。そして、見誤るのはとても簡単だ。パンク侍のお話に似ている。素質として、受け入れることをやめないのなら、7日のうち7日間に満たないだけ、くらいの割合、つまりほとんど自分の部屋にいるといい。だれも入ってこれないところ。だれも入ってこない。と、その人は言い聞かせている。だれもこない。と、つぶやいて、いいアイディア、と考える。

 

まだ百年の孤独を読みはじめていないことを思い出した。マルケスの。


そういえばこの前、新年会に呼んでもらいました。芋、南瓜の収穫祭とのことで、みんなで食べたりのんだりした。ワイン、お酒、ビール、蒸し野菜とか。いま思えば、とても居心地が良かったような気がする。働いたり散歩に出たりしてひとところに落ち着くことはなかったけれど、みんなのことがすきだなと、なんとなく今になって思った。わたしはせめてあの人たちにやさしくありたい。

 


休みをとり、じっとしている。本当はこのまま7日間くらいじっとしていたい。

 

本を読む。あふれるならことばをそのままにしておかない。