4月28日(火) かたり

朝:ごはん、牛蒡と鶏モモの黒酢炒め、納豆。久々に、温かいお菜と温かいご飯を合わせて食べると、とても美味しい。いつも午のお弁当は冷たいし、夜はご飯を食べないので。

夜:帰宅、湯浴み。孤独のグルメ「ハムエッグとカツ煮」の回を眺むる。温かいお菜と温かいご飯を合わせて食べている。

お酒は上喜元(山形)の純米をひとつと、花垣(福井)の純米の濁り酒をひとつ。わたしは濁り酒が一等好きです。食べものは、カブをひとつ銀杏切りに、きゅうりを一本薄切りにし、塩をフリ水を出したあと、昆布だしと塩昆布で味付けしたもの。「美味しい水分」とも言えるよな食べもの。

午休みとこの時間(近頃は丑の刻に起きて、5時ごろ2度目の眠りにつく)には、Pharaoh Thundersを聴きました。jazz。

午の休みはまた、石牟礼さんのエセーの活字を追いました。「魂の秘境から」という本におさめられた「原初の歌」と「あの世からのまなざし」。歌や曲についての近頃の私の感慨、過去を文字通りの過去として埋めてしまわない生きたものとしての取り扱い、という点で、ああおんなじ、と思い、嬉しくなりました。それと、景色の湿度が高い。そういうので石牟礼さんは好きです。

 

動物的な勘で今の情緒を感知することも大切とは思いますし、それを得意とするお人もおられるやろうなあと予想します。一方で、過去の情緒を体が覚えている、記憶している、記憶を呼び覚ます、ということに向いている人もおられようとも思います。体を通じて思い出すので、それ以前の、ほかの過去の記憶に影響を受けたりしながら、事実とは少し違ったり、ぜんぜん違ったりする。これはいま、なかなか受け入れられづらく、なぜかと言うと、それは多分、過去の一点における事実とは異なるという理由でそれ(いま鳴らす過去)をも事実と異なるとされ、事実というのはなぜか信頼されているので、それ以外のものとして排除される向きがあるから。でも実際は、いま鳴らす過去というのは、面白い変異が生じた、それ生じてはいるけれど紛れもなく「本当」のもので、その変異というのは、私たちにとってとても自然な、馴染みある揺さぶりを含んでいるように思います。jazzなどは今の情緒を掴んでいる動物とも言えるかもしれません。曲というのは過去の情緒を音で今に呼び覚ます媒体だと、思うのです。

曲を歌う時の媒介者の体についても、思いますが、またそれは次に会ったときにでも話しましょう。