ニュージーランド日記④-1 2月22日(土)

ランドリーを回したくて、5:00、6:00に起きたい。でもそれは沼のような睡眠で、体ごと引き戻される。抵抗不可。7:00起床。8:00には中心部からバスが出る。特急でパッキング、朝食(ミルクが美味しい、キウイが美味しい)、曇りにかかった山と湖、発。

 

バス停で運転手のおじさんが点呼しているところ、点呼済み・荷物バスに詰め込み済みの青年が「ちょっと出てきていい?」と声をかける。8:00には戻ってね、とおじさんが答え、青年は街にちょっと出ていく。8:05になり、青年は戻らず、バスは定刻通りに出発する。バスの運転手って、本当にストレスフルだよ、ああ。とため息をつきながら。ゴー。

 

クイーンズタウンの湖のことを思いながら、4時間揺られていく。山は湖をいだき、湖は人間を囲う。人間は湖を眺めているか、湖と戯れているか、そのどちらか。乗り物に乗ると、ガチャリとスイッチが切れるようになっているので、直前にどれだけ寝ていても、眠る。途切れ、羊、アルパカ、牛。眠る。途切れ、ミルキーブルーの堤防のない大河。眠る。雨が降ったらすぐにあふれそう。一本道以外、何もないが続く。だだっぴろく、何もない。

 

12:00すぎ、テカポ(喉の奥の方で発音するくぐもった音)湖着。雨。2:00のチェックインまで、近くのレストランで過ごす。今日のスープ(なんのスープかは聞かなかった。なんでも良かったので)と赤ワイン。

頬杖をついて待つ御婦人、事故のせいか口元が麻痺してクチバシみたいになったお父さん、息子たちはクチバシをしていない、フランス語で静かな会話、一杯のカプチーノに20分、隣の青年のフィッシュアンドチップス(チップス部分はどこに行っても多すぎる)。ポストカードを家族宛に書いて、待つ。

 

ブラウンマッシュルームとペッパーのポタージュ。

 

レストランの食事は、待つことをたのしむものでもある。待つための十分なスペース、重すぎず軽すぎない適度な調度品のなかで、言葉を交わすこともなく待っている家族、ひとり、夫婦。雨を見たり、砂糖の袋をいじったりしている。時間が早いとか短いとか、代金が見合うとか見合わない、星の数、距離、と、指数を頼りにするのは不幸なことだ。それは本当に、不幸で、異常な”社会性”だ。

 

宿に着いて、ランドリーを回し、スーパーマーケットへ。

今日からの宿は、動物たちがたくさん転がってたのしそうにしているところ。

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