2月16日(日) 日記

さて、と、季節が変わりつつある。春になっていく。夜になるのと同じように、春になる。

 

季節について話すことは、好きなことのひとつ。季節についての話を通過したところで、なににもならず、どこにも行かない。なにも実らず、記憶や過去にも残らない。今日は朝から雨が降って、しばらく降ったあとで細い霧雨に変わり、景色がぼんやりしている。それほど寒くはなく、ンン、あたらしい季節を思った。

梅、桃、ハクモクレン、ぼけ、河津桜、とひとつひとつ検索窓にかけて、思いを馳せる。目の周りが白い目白に白目はない、鶯は目白じゃない、白いほお、澄んだ声のハクセキレイ。鳥や、と言って眺める。

 

センセイの鞄』を家で見る。主演の小泉今日子柄本明がふたりそれぞれ、しずかな居酒屋のカウンターに座って、熱燗をキュッ、キュッと飲んでいく様子がおいしそう。たこのしゃぶしゃぶ、大きく切ったお豆腐だけが鍋にふくふく揺れている湯豆腐、枝豆とか。全体を通して間抜けだった。間抜けなものって、あんまりないし、あっても目立たないよね。

 

転職のもろもろをやってみて、正気とは思えないことが、小さいことばかりだけど、あった。“標準であること”の“正気らしさ”が云々、という感想は、決して“標準で正気な人”に打ち明けてはいけない。景色をみることは景色をみるためには行われず、おいしいものをたべることは、過去の経験にされるべく行われている。ふつうに。

ええっと、そんなふうだからと言って立ち止まることはないけれど、通過したあとで、いやあな感じ、たしかに残っていく。梅、桃、ぼけに、ハクモクレンや、鶯、目白に、ハクセキレイや、と踊ってごまかしていたら、春になるように夜になる。それでいい。

 

次回はシウマイ弁当について。