12月1日(金)から12月3日(日) 引っ越し

12月1日(金)から12月3日(日)
 金曜日、今年一番の冷え込みだとラジオの天気予報で言っていた。曇りで、ダブリンの空に似ていたかもしれない。夜はじっくり眠ったが、起きてからはずっとソワソワしていた。引っ越しだったから。
 その部屋には大体4年間住んで、同じくその街には4年間いた。それまでは縁のなかった街だけど、住み始めてすぐ、落ち着いて路地の散歩などができた。それがとても楽しかった。何もない細い路地、何もない神社への道、静かな根津神社、病院裏の小高い路地、鬱蒼と茂るなんだかよく分からない森の脇を通って、団子坂下に戻り、特に必要でなくてもサンマルクでコーヒーを買ったり、飲んだりした。何もない、日が差す道々を歩くのが好きだった。
 引っ越しのトラックが来て、荷物を運んで行った。部屋は、がらんどうになった。この部屋は、私の部屋だった。がらんどうになっても尚、私の部屋だった。気配はもうあまりないけれど、それが匂いや光に変わっていた。染み付いて、移り変わって、残骸だった。夏に駅から家までの帰り道で見た青い蝶の死骸は結局、どこへ行ったんだろう。
 日曜日、幾分か寒さは和らぐとラジオの天気予報が言った。新しい家で迎える晴れた朝は、日当たりが悪く、足の先から冷え、蛍光灯が寒々しかった。張り替えたばかりの青い畳の匂い、広い部屋が二つ、整頓され、消毒され、なんの跡もない家。
 日曜昼、部屋の明け渡しのため、バスに乗って最後の部屋へ行った。扉を開けた途端に、ふわっと香った。窓から見える青い空が、外にいるときと変わらずに突き抜けたまま青く、南の太陽が冬なのに燦々と照りつけ、畳にいろいろな影の模様を描いていた。寝転がって、日焼けしそうな日を浴びて、最後だった。
 寂しい。
 寂しいと思うのは、自分がどうしてそういう気持ちなのか考えようとしないで、ただ気持ちに思考を持って行かれているから寂しいと思うのだ、と近頃思ったことがあるが、違う。寂しい時は、寂しさがあんまりにも体に満ちて、それ以外にどんな理由も思考も入る隙がないから、考えられないものなんだな。ただ寂しくて仕方なかった。何も考えられない引っ越しだった。
 新しい部屋、知らない街での生活は、どうだろう。
 ひとまず、蒟蒻と鶏の煮物、白菜と豚肉の洋風スープ煮を作った。

   なんで引っ越ししたんだろう。

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