4月15日(月) ぜんぜんhumbleじゃない

パワー・ワードが表出する

パワー・ワードの表出のない者もある

前者は慎み深くありたいものだ。

自分を振り返ると、パワーワードが出る所以というのは、解の出ない問いに対して、感覚的に、ある解を知っているからだろうと思う。鼻と皮膚が知らせ、何者でもないものとして見ている。動物であることを忘れないからものと人の境目は常に引かれない、こういう解はとても速い

これらは詩となり得るが、分類されたラングではない(そしてこれにもまた説明を与えない!)

 

解のない状態を知っている者をなぞると、その同等な尊さがわかる。フレームを、□を、詩書かずに、視覚的に分かっていく術を、しかと知っているのだ(あーらヨット)。また、元からフレームを用いることが出来た者は、解のない状態であっても、経験値の高さによって解の仮定を立てることができるかもしれない。そして逆算する。または、フレームの量が多く、それらをフレームの中で把握しているので、素早く(速くはなくとも)取り出すことが出来るかもしれない。そして逆算する。

彼らは(この意に性差は含んでいない、集合Theyです)、説明がとても得意だ。社会は彼らを求める。彼らはヒト的な、そしてアニマル的な匂いを消し、セツメイを明確に浮かばせる。セツメイを読むのもまた、彼らと同じ集合(社会)に属すだれか。かもしれない。

 

翻訳は、彼らに近づくことの尊さを教えてくれる。

これは論ではなく、パワーワードの積算なので、逆算しないでほしい。ガタガタガタっ

型ッ…カタカタ……

夜の街には動物が溢れる。