4月20日(月)
朝、雨。夜には上がるというので、7時、8時、9時、10時とちらちら様子を見ていると、すこしずつ弱まっているようにも見える。昨日のぬるい空を思い出してdub、目眩、寒い。
作り置きのお菜が減ってきたので、筍を豚挽き肉で辛味噌炒め煮みたいにしょうかなと台所に立つ。茄子とエリンギと豚挽き肉の辛味噌を作って、そのままお弁当も詰める。 水煮筍は期限までまだまだあるので元いたお部屋に戻る、とのこと。あっ、そお? ん。
昼、お弁当に挽肉辛味噌、新じゃがポテサラ、根菜と椎茸煮。島根にいる友だちに、いつも思っているよ、とメッセージ。この春、東京は寒い日が多いけれど、ツツジや藤は満開です。ツツジはとてもいい匂いがしてるよ。と打つと、しばらくして、お花最近見てないな、また会おうねと返ってきた。また会おう、と発音する。島根の病院でも、少しずつ働きにくくなってきているとのこと。ああ。
夜、やっと上がりかけてきた雨。スーパーマーケットにだけ一瞬寄って帰る。わたしは、こんなふうでなければ、つつじ祭りや紫陽花祭りに行くのと同じ気持ちでスーパーマーケットに行くスーパーマーケット好きで、鬼灯を見るのと寸分違わず炒りごまやすりごまのコーナーを見るのだけど、スーパーマーケットでの過ごし方が制限されたいま、スーパーマーケットはライフのための場所となり、記憶を強制的に上書きするだれかのだれかのための知らん"正しさ"で、ああ、スーパーマーケットの淡いが塗り込められ、スーパーマーケットというたのしげな字面に似つかわしくないただのライフになった。わたしはスーパーマーケットに行きたい。もうあなたがスーパーマーケットに行く日もありませんよ、と言われたその深い悲しみ、大きなくるしい塊がごろり体の真ん中に生じる空虚さ、塊、生じたのに空虚、その矛盾を抱えるであろう人々の体をも想像できてしまう。スーパーマーケットに行きたい。野菜と干物を買った。
ひどい気持ちで、キセルの気持ち悪い曲をきいて帰宅、缶ビールがなくて絶望し、朝用だったはずのクイニーアマンをむしやむしや食べ、缶ビールを飲み、犬を抱いた。
4月16日(木) OptiganallyYours
朝:蕎麦を三口分茹でたものと、素麺を一輪茹でたものを、同じお皿に盛って食べる。なにこのミックス......と呟いて少し笑う。ざる蕎麦も素麺もどちらも好きだけど、同じ食卓に上げると散漫な気持ちになる。蕎麦と素麺を交互にすする。変なミックス。
いつものように自転車で駆けるとき、今日はひさしぶりにOptiganallyYoursをきいていく。街の雑音に溶けるように行く。
昼:お弁当になすしぎ、長芋と豚肉の黒酢炒め、冷凍の白身魚フライ。
大画面にKindleで活字をうつして、咀嚼しながら追う。石牟礼さんだったり、野田秀樹だったり、いろいろ。
食べ終わったら屋上近くの階段に出て、外で筒井康隆を読む。これは最近はいつも筒井康隆を読んでいる。
夜:帰路、OptiganallyYoursをきく。弦の輪唱みたいな追いかけっこの曲に笑う。なにこのミックス......変なミックス笑、と呟いて。
サルモーネのお刺身、長芋の短冊切り、ビール、お酒。
眠りについて少ししたら、電話がかかってきて眠りながら取る。寝ぼけながら最近読んでいる本の話をして3分後に、その本の可笑しさを思い出して爆笑し、目がすっかり冴える。「汽車の中」というお話で、読んでいる時は笑わないのに、思い出すときには、奇妙な四肢およびその影のイメージが頭を離れず、爆笑。電話越しで相手も笑っている。彼にとっても印象深い文章だそうで、深夜なので声を押し殺して笑っている。
ひとりでよく笑った日だった。ひさひざに、人と一瞬だけ一緒に笑えてよかった。
毎日いろんな人のことを思いすぎて、全員に恋をしているみたいになっている。
4月14日(火) Domotic for the day
朝:クリームパンが食べたくなって。クリームパンが食べたくなって、朝一番でコンビニエンスストアに歩いていくとき、あたらしい葉が濃くて目が痛いのと、空の色が冬と明らかに違って青が深いので、大変なことになった、と思った。大変、季節、変わっとるやんか、大変なことに動揺して、クリームパンじゃなくてメロンパンを買って食べる。菓子パン久しぶり。
昼:お弁当に鶏そぼろ、炒り卵、かぼちゃ、蒸し鶏、きゅうり。
夜:魚が売りの居酒屋で持ち帰りを始めたと看板を出していた。ふん、と頷いて、アジのなめろうとさわらの味噌漬けを買う。同じく帰路に酒屋があるので、好きな山口県のお酒「貴」を四合瓶で買う。魚をなめながら、お酒をのむ。魚が美味しくて笑えてくる。今後夜に食べるものは、刺身3切れ(または干物か漬け)に、お漬物3切れで事足りるような気がする。刺身と言って、平目もあれば鮪もあるし、タコぶつなんかも最高だし、焼いたのもうるめいわしとかサワラの西京漬焼きとかあるし。漬物だって、水なすもあればきゅうりの糠漬けもあるし、たまにはセルリーのピクルスだっていいわけだし。お野菜とお魚はいろいろあってたのしい。
さて、虎。
虎といえば、「Ask For Tiger」と言うDomoticのアルバムで、これにも大切な記憶がいくつかあって、それらが交差、だけでは済まない、すれ違い?、と思えば絡み合い、何がどうなっているのかわからない関係を築いている。常に動いている。全容把握不可である。記憶、が曲、みたいに、再生されるのだけれど、曲、なのだけど、息遣いが毎度違う。こう言う記憶はそれほど多くない。思い出すたびに温かい。思い出すたびになんと言っていいか分からずに、グウ、と声にならぬままもれる。
15年前に鬱屈として田舎の非常階段で聴き続け、10年前に日がな一日聴き続けたそんなDomoticをまた聴き始める。止まんないのだ! 8bitみたいな単純な音とザラザラしたエレピのやさしい和音で組まれる骨子に、ノイズが乗る。そのノイズ、雑踏の音に似ているなァやはり音は心地いいなァと思っていると、子供の無意識の暴力みたいに笑っちゃうくらい膨れ上がって、笑っちゃうくらいがどんどん加速してほんとに笑う。気怠くて何者にもならない、ならない意志のあるvoiceと、結構システマチックに移り変わるビートで、頭空っぽ(いつも空っぽだけど......)、解かれる。FENNESZを6時間きいていた昔の話をこの前友達としたけれど、Domoticは8時間だったかもな。
https://www.youtube.com/watch?v=ZXS2iZRECVw&list=PLVYtDh61MFJNJ459zihww8viTTtVw9RUi&index=8&t=0s
音は好き。たのしい。
4月10日(金) 欠ける
昨夜もそうだったけれど、夜は少し寒い。4月になってまだ寒いことに安心する。失われずにまだ春の夜。
今日も変わらず、自転車で駆けていく。駆けながら羅針盤を聞いて、くるしくなって(あるいはうれしくなって)泣くなど。文節ほどに区切って何度か言ってみる、それは、こわれた、わけじゃなく、きっと、なにかが、とおりすぎた、だけ。通勤ルートが変わって、前よりも空がよく見える道を行くようになった。だから、ほんとに、きいてくれ、なにも、とくべつな、こと、なんか、じゃないと、おもう。花屋はやっている、やきとん屋は閉まっている、パン屋は閉まっている、串カツ田中は持ち帰りを呼びかける、八百屋は開け放している、車の数は変わらない、ふと思い出すのは8年くらい前と4年くらい前、いつのまにか少しだけ形を変えて、ブランク、意識の網を抜けて、打ち上げられ、る、それは、こわれた、わけじゃなく、きっと、なにかが、とおりすぎた、だけ。
朝、ドライカレー。
昼、お弁当に鶏そぼろ、ナムル、かぼちゃのサラダ、蒟蒻の土佐煮。
夜、サバ水煮缶、缶ビール。本当は平目のお刺身にうれしい温かいお酒が良かったのに、どこか食べさせてくれる店になんとなく行けないのでサバ缶。悲。
さて誰にも会えなくなると、いつも静かで大人しい孤独が、ダブル、トリプル、クアドラプル、生き生きしてひとりでに歩き出す。どんどん増していき、一方で愉快であるが、一方で悲しくもあるような。モノがあってギリギリ保っている。モノがあって良かった。モノを媒介にして、モノへの視線が感じられて良かった。例えば、生まれ、かわる、ところが、どこにでも、あれば、といまここで歌い、いのりの、声、たどれば、すぐに、また、会える、と4年くらい前に歌った記憶を引きずり出して、その時あそこにいた人のこととか、その時楽屋で筆箱を落としたこととかを思って、寝転ぶ。歌や言葉が前よりもモノのようになって、失われずにまだ。
そんなにない人が多くの暮らしを見据えてたくさん出して、結構ある人はほとんど出さない。
大きな感情が当然あるけれど、いまはひとりそのデカさを思うか、見つめること、同時に、過去の同じ悲しみを思い出したり、聞いたり。
4月1日~9日 とじたレコード
とにかく横になってばかりいる。ハンモックの上で。ハンモックの上で、Uの字になり続けている。なにかの音がながれているときもあるし、眠り界にいるときもあるし、眠り用のくつしたをはいているときもあるし、素足をするする言わせているときもあるし、缶ビールものんでいる。なにもしない時間が一定過ぎると、ごろりメロディーが出てくることが多く、目覚めてすぐによく知らないメロディーをくちずさんでいる。でもなにか形にしようと横着をすると、跡形もなく消えてしまうことを、いまは知っている。
いつかの朝、クリームパン。
いつかの昼、立ち食い蕎麦屋でかけそば。
いつかの夜、とても高い牛肉を焼いたもの、残っていた新もずく、缶ビール。
簡単に、ふつうに、無意識に、侵略というのは、行われるなあ、と思って、勝手にばたばた藻掻いているメッセージを眺める。とにかくとじるといいよ、とじられないなら、できれば話したり会ったりしないほうがいいし、とじてながめて、ひとりで息を吸っていればいいのにな、と興味深く眺める。興味深く眺める、とこんな具合でわざとらしく書いていないと、ふつうに、乱れてしまう。わたしは逃げる。
悲しいような、むかつくような、ないまぜのよくわからなさで、よく知らないメロディーをくちずさんだりしながら、何とか。
春はたしかにそこにあって、桃や木蓮は咲いて散って藤やツツジが咲きだして、いつもよりだれにも見られないしずかな季節に、変わらず鼻の奥が反応し、Uの字でぐったりしている。
ニュージーランド日記⑦ 2月25日(火)
9:00、ドライブに出発。マットが運転手。
まずは街の真ん中に行き、日本人のやっているコーヒースタンドに寄ってコーヒーを。こちらは物価は高いけれどコーヒーは安い。モールのようなところにて、焼き立てのクッキー。クッキー🍪🍪🍪🍪
途中、道の村のカフェテリアにて、財布を忘れたことに気がつく。落ち込む。brewed coffee。酸っぱくて、フルーツ味のする、水出しコーヒー。紙のストロー。直美は何かベリーのスムージー、マットはサンドイッチ。tui。bee。すずめ。fly。furtail。
山を越えて、クネクネ道の先に、アカロアが広がっている。アカロアは、道よりも広がった、港町。海鳥、グースギース、海藻、海の色は知ってる海の色、直美によるとアメリカ人が多いね、とのこと。アメリカ人の発音がするらしい。古くてかわいい白と赤の灯台。港町のフィッシュアンドチップス、魚はブルーコッド(タラ)。美味しくないけれど、とても大きな藁半紙にくるまれていて、面白い。
ひとりがおしまいになると、特にアイディアもなく、何もない時間もないので、物の記憶が増える。
ファッジショップで歯が溶けるような、でもかわいい甘いかたまり、西瓜の容器、白い犬よちよち、オパール、アワビは安い。
帰り道、チーズショップ。丘の上からクライストチャーチ。何百ものバイクレーン。山からマウンテンバイクで岩ばった道をゴリゴリ降りるのを楽しむとのこと。