3月21日(木)

週半ばのお休み。ぽっかり空いた穴みたいな春の陽気。突風。

いつも通りの時間に起床し、決めていた雑務をこなす。名曲「セロリ」を聞きながら掃除機をかける。セロリ、セロリって曲名も名曲名だ。でも八百屋では「セルリー」として売ってるところが多い。かつて恋した人が「セルリー」と発音したあのときのざらっとした声を、いまでもよく覚えている。セロリといえば、名バンドmooolsに、「黒セロリ」という名カバー曲がある。moools祭りがよく開催されていた6年くらい前に初めて聞いて、すごくびっくりしたのを覚えている。まあじかあ……笑、とつぶやいたことを覚えている。セロリにまつわるエトセトラはそんなところ。塊肉を煮るときには必ず入れます。セロリ。ネロリっていう精油もあるよね。ゾロリは怪傑だよね。

昼過ぎに三鷹へ。友だち(宇宙くん、友だちってことでいいのだろうか)の出演する演劇を見にSCOOLに。
宇宙くんとは前回もSCOOLで会った。そのときに、今度劇に出るんだ〜とぽつぽつぽつっと教えてくれたので、行くよ、と言った。あの日は雪が降り降る大寒波の夜で、わたしは5日ぶりに外の空気を吸った動物で、宇宙くんは宇宙くんだった。宇宙といえば、漫画『コジコジ』においてはお父さんお母さんで、「宇野千代」と「荒井注」である。

4つの作品のオムニバス形式だった。30分くらいずつの4つの作品たち。
いくつもの体が、観客の目によって、見られる体になる。
俳優として生きていない体は、俳優の動きをしない。
それぞれの歩き方はみんな異なって、小さな癖のひとつひとつが、その体の属す社会を示していた。
かたい、かたい、緊張、緊張、上、下、声、ステージの外ではきっと聞き逃してしまうような声、不安、どこにも定まらない視点、ふっとやわらかい声、ふっとほんとうに力の抜けた、たまにふっとほんとう。
と、この一つ一つの単語が、それぞれの体だ。
いろいろな体の、こわばった体の、たまにほんとうのやさしさ、のような瞬間が見られる演劇は、昨日のSCOOLを除いてほとんど見たことがない。
山下さんのgoronくらいか。(昨日を見ると、やっぱり山縣太一の一人芝居はとんでもなかったことが分かる。)
特にあかるい歌やあかるい踊りの場面はとてもよかった。(真剣な場面は自分の緊張と離れて緊張を演出する必要があるからか、ちょっとだけ難しそうだったけれど。)

どうやって歩いてる、どうやって声をだす、どうやってどうやってどうやって、と出来てないわたしは出来るように考えたいけれど、そうではないもののほんとうの瞬間も、とても愛おしく、きっと聞き逃したくはない。

歩いていると、桜がもうほころんでいる。あたたかな、ねじがしまらない、あまりにもあたたかな日。ビールをのんだり。セロリが好きだったり。多くを求めたり。なっちゃうね。