1月27日(日) 肉豆腐湯豆腐、ビッグバン

抱負1
近ごろは、おいしい肉豆腐とはどんなか、を想像して試している。今まで積極的に肉豆腐に関わってこなかったので、苦戦している。居酒屋でも頼まないし、子どもの頃に食べた記憶もない。

お醤油で甘辛くやるのが一般的らしいが、味噌仕立てや塩味もある。出汁の有無も選択制だ。木綿なのか、絹なのか、水切りの程度は、入れる野菜は「玉ねぎとキノコ」で正解なのか? むしろネギなんじゃないのか? 糸こんにゃくはいいの?入れなくて。もう、湯豆腐でいいんじゃないのか? 湯豆腐こそ至高なんじゃないか? 湯豆腐の多幸感に勝ることがあるのか、どうか、肉豆腐が。肉と、湯とが、乱反射する。新宿のビル群が肉と湯のように見える。赤く点滅する。ふっ、と顔をあげると窓ガラスに肉豆腐がうつる、それを湯豆腐がじっと見つめている。
いろいろ挑戦するも、今のところふつうに美味しいものしかできない。究極の肉豆腐とは言えない。究極の肉豆腐が作れるようになりたい。そもそも、まだふつうの肉豆腐を外で食べたことすらないのだ。


抱負2
1月25日、下北沢にライブを見に行った。また下北沢。この前歩いた道とは違う道を行く。連なる店には見たいものがなあんにもなくて、とても落ち着く。この前と同じ、また、(帰り道だ)という気持ちだった。ただ歩いていく。
uri gagarnを初めて見た。なぜかgroundcoverみたいなバンドだと思い込んでいた。
ライブを見てびっくりすることは、今ではもうほとんどないのだけれど、ものすごくびっくりした! 生きててよかった、と思った。ほんとに。いいライブが見れました。
ちいさくちいさく、孤独に、なんにも嘘のないように、慎重に編み込んでいる。
そのブツが大きくなるのに必要な最小人数(ギター、ベース、ドラム)で、殊更に大きくしようとは思わずに、演奏される。
目の前にごろりと転がった石ころを、じっと、ただただ眺めて、なあんにも嘘のないように描く。たまには俯瞰もするし、ざらつきの具合を調整するけれど、わたしの俯瞰、わたしのざらつきで、他者(社会)の入り込む隙はない。そして「わたし」は溶けてもいる。祈りに。ビッグバン。
究極のビッグバンを目指したい。勇気がでた。生きていてよかった。やっぱり、つづける。


だれかの幸せのことも、毎日思っている。