1月19日(土) 下北沢

東京には街がいくつもあって、そのひとつひとつにいくつかずつの記憶がある。

 

下北沢に初めて降りたときのことを覚えている。

餃子の王将まで下る道に、なんか得体の知れない甘い匂いがしていた。たくさんの人が歩いていて、誰も冬の青空のことは気にかけていない感じがした。(空は突き抜けていた。)初めてアスファルトを踏むようなちょっとこわい気持ちだった。マクドナルドがあって(もうない)、みそパンの有名なパン屋があって(もうない)、キッチン南海があって、ミスタードーナッツがあって、焼き鳥屋があって、どこに続くのか分からない道が右に伸びていた。

 

ひとりで初めて住んだ三軒茶屋、から下北沢まで、または下北沢から三軒茶屋まで、茶沢通りを何度も歩いた。さいごはいつも同じ道だった。ひとりのときも、知らない音楽をきいているときも(Fennesz/ Endless Summer)、同じ音楽をきいているときも(小沢健二/ある光)、バンドのライブを見たあとも、いままで会ったことがないようなすんごい面白い人と歩いたときも、一度だけのときも、何度かのときも、スタジオの帰り道も、穏やかさ、明日朝早いときも、あんぱん齧ったときも、夕暮れ、たこ焼きを買って風がとても強くてたこ焼きがぜんぶ飛んで行ってしまったときもあった。

 

11年通う髪切処があるから、散髪のついでに今でもたまに下北沢を歩く。鼻の奥をツンと細い針で刺されたみたいな、所在無さを覚える。街。誰かと出会ったこともあった。街自体が。