6月19日(火)『スワン666』を観劇、はじめ

私は苦しみの中にいた。それはハッキリと苦しみだと意識できる程度の些末な苦しみだった。本当の苦しみにおいては、人間は苦しみを意識できない、ゆえに苦しみに対処できない、そして衰弱して死ぬ。私の小さな苦しみの正体を、私は知っていた。それは、ある作家の文章を読んだあと1週間程度は、その文体に自由を奪われて、ひたすらその文体の模写をしてしまうことへの苦しみだった。私だけではない、件の「発明の文体」は、大げさではなく十中八九の人間に乗り移るように再生される。読書の読の字の、音読の意味が極めて強い文章だから。彼も、彼女も、そうだった、乗り移られていた。そうして音になる文章というものがある。ずいじゃーの?


火曜日、北千住に向かった。梅雨の晴れ間は夏というには涼しくて、空に揺らぎが見られた。夏至の前日。『スワン666』を見に行った。去年の9月、駒場東大前に向かう頃は死者の気配が満ちていた。あの時は台風が近づいていて、『を待ちながら』を見に行った。何年前かは、浅草にいた。舞台上では目覚まし時計が鳴っていた。それが飴屋さんを見た最初だった。


そういえば、少し前に、ペドロコスタの『ホースマネー』という映画を見た。影と実体、人と人以外、みたいに対立させることもなく、等価であった。今はちょっとでも分かるようにと項を挙げたけれど。そんな境界もただの境界として境界以外と等価であるから、そこにはこれ以外ない力強い配置と、言葉、というか詩があった。分からなかった。分からない状態の中にいた。ハッキリと分からないと意識できた。飼い慣らされた分かる状態から一番遠いところにいた。


北千住でも、同様に分からなかった。対立項はあった。境界はあった。明確に動物と人間が前提とされ、男と女の境界があった。でも分からなかった。前述の分からない、とも違う分からないがあった。詩人じゃないから詩的じゃない、目に見えるいまを描くから境界があって、異物がごろつく、様子を見せて、それすら壊して、骨を食べて。

 

ちょっと前に朝のNHKラジオで源ちゃんがぽろっと呟いていた、説明ができない、という音が頭の中で引用される。


あと、昌也さんの凶悪さがメーンを張っていた。昌也さんはすごい好き。好みの話して悪いけど。


景色でもない、瞬間でもない、痛いほどの分からなさは、埃みたいにつもるんじゃなくて、別件別件を引き寄せて大きくなっていくんだろう。はじまったばかりだ。

 

 

北千住はナメクジが多くて、缶ビールを嬉々として飲んでいた。私の缶ビール。と同時に。ナメクジの。溶けて来て、境界。