230227

きのう、わたしがあんまり無能で削ってしまったレンタカーのサイドミラー(7万円)という事実を前にして、ああ自身の無能さと恥ずかしさに打ちひしがれ、今までの勘違いや驕り、不遜さ、優しくないわたしが次々に心に浮かび、ほんとうに申し訳ない。申し訳なさに心が削られて、自業自得でツラい。やっぱり何もできない、何のすべもなく、残らず、わたしに残らないことが誰かに何か残したりもしない。

こんなにツラくて明日も朝起きれるんだろうか。今日は3回起きるのを諦めて、泣きながら起きないことを諦めたけど、朝から晩まで辛かった。

だいじょうぶだろうか。

 

2022/08/21

人に会って話をするということは、再生可能な自分の一部を切り取ってそこに置いてくるような感覚があり、これを繰り返すと辛い。みぞおちが不穏で不快な軽さになる。時間が解消するのをじっと待つ。

待つ間、しばらく静養する必要があるのだけど、その期間は無表情でもよく、だれにも声をかけられず、何も説明しなくてもよく、光が強すぎず良い自然のにおいがして大きな声で話す人間がおらず居心地の良い場所で、ただねむる起きる体の声を聞くなどしていたい。

できれば誰もわたしを外に誘ってほしくないし、応答が必要な呼びかけを寄越してほしくないし、何にも認められる必要もなく、誰のことも。

それがわかる人となら、半年に一度だけ、いい季節に散歩などしたい。それだけで、本当はいいはず、たぶん。

2021/11/08

まったく人に会いたくない。

言外の意味ではなく、言語で対話がしたい。

それで、言外のことは、ひとりきりで、宝物のように大切にできる。

 

近ごろは、毎週決まった曜日と時間に、近所に住む翻訳友だちが遊びにきてくれて、ふたりで黙々とべつべつの翻訳作業をしている。翻訳友だちは、大学時代には言語学を専攻していたそうで、英語以外の言語についても、とくに文法や成り立ちに詳しいように思う。大学といって、東に一つ、西に一つ難関の大学があるとしたら、その東の大学の出であるようで、なんというか、学ぶことについて苦だと思ったことのない様に敬意を覚える。パズルが好きだから、パズル感覚で数学の計算問題(これは、わたしの想像する計算問題の類ではない、たくさんルートが入っているし、とわたしは思った)を解いているんですよ、と言う。

作業の合間の休憩中に、温かい黒豆茶をのみながら彼女と雑談をしていると、雑談なのに結局ことばの話に収斂されていくのが痛快。この間近所を歩いていたら野良猫が、も、Youtubeで見た水彩色鉛筆のレクチャー動画が、も、フィナンシェのレシピが、も、なぜかなんとなく言葉の話が混ざって、抽象度が高くなっていく。

 

彼女と話しているときは、言外の意味に気を配りすぎずに時間が過ぎていく。おそらく幸せなことだと思う。

友だちというには年齢差がある気もするけれど、英語でいうならmy friendだなと思うので、友だちだと書いてしまう。

2021/11/03

小学2年生ぶりに、1日に1冊か2冊読んでいる。

今日したことといえば、とはっきり言えることが、本を読んだ、と言うことしかない。

うそのようだけど、ふっと息を吐いたある瞬間、生活がそう変わった。7秒くらいで、変わった。

これは、なんだろうか。

 

小学2年生のときだけは、うれしくて楽しくてこわくてよくわからなくて、よだれを垂らしながら息を切らして、まいにち本を読んで、昼休みに図書室に行って、本を返して、本を借りて、本を読んでいた。

 

2021/10/29

なにかを望んだりしないで、一日一曲分の歌詞を書いている。四日目くらい。三日目か?

望んだりしていないからいい曲である必要はなく、かといって個人的な日記でもなく、説明でもない。

だいたい五分くらいで書く。

1月11日(月)

筋道立てられた話や、打ち立てられた規則——と言ってもごく最近、名前くらいは誰でも知っている国々で。最初は本当だったかも知れないそれも、キメイラ、異種配合を繰り返し、爆発することもあれば痩せ細ることもある。どちらかといえば痩せ細りがちでそのノイズ除去は倍々ではなく二乗三乗に押し進められ、結局誰でも知っている、誰にでもわかるものになる。と、どこかで誰かは憂うかも知れない——を自分も気づかないで疑問なく消費したりする、毎日だ。いつもどこかで余裕のある誰かは憂いているし、いつもどこかで言葉ない者の目前で水際は寄せては返す。

 

言わないという行為で、言えないくらいの新しいものを、肯定できない。肯定の反義語が否定だとしたら、そんなふうに一文で言ってしまうことも、悲しい事実に成り下がるかも知れないけれど。だからわたしとあなたがいるとすれば、わたしはあなたに伝える時、痩せ細っていない故に分かりづらいだろう言葉で、語りかけたい。それはいつも、わたしのこと、だけじゃないから(たぶん)、できれば聞いて欲しいと思う。

 

わたしのことというのは、いつもつまらない。わたしのこと、あるいはあなたのこと、で完結しているものはいつも全てつまらない。「ある一人の面白い者」は、たぶんだけどこの世界に一人もいない。全てとか、一つもないとか、いつもとか、大層なことばかりで明日殺されちゃうかも、と思いますが。

 

さて今年は日記を書こうかな〜と思って書き始めたら。

今日は、部屋の掃除をしながら電化製品の配線を整えて少しだけ暮らしやすくしたあとで、南瓜を炊いて、炊き終えたら出掛け、髪を整えてもらった。その間久しぶりに「ヴィトゲンシュタインの愛人」という本を読み進めつつ髪質をお姉さんに褒められて良い気になった為に、蒸留酒の博物館のような店で好きな酒を買い、酒瓶を割らないように/死なないように慎重に帰り、いつもは店で飲むラフロイグを家で飲んだ。アイラ島ウイスキーに合わせる食べ物はとても難しいなあと琥珀の液体を噛みながら、音楽を流し好きな香を焚くと、お酒ぐんぐん進んだ。あぁラフロイグ(ぐらい複雑な個性)には、味覚ではなくてその他感覚に訴えかける方が良いんやなあ、と思った。(日記)